第3集は人々が日本に集まり、森に暮らしていた縄文時代のお話です。日本人はるかな旅第3集は「海が育てた森の王国」。以前のイメージとは異なった一万年も続いた縄文時代はどの様な時代だったのでしょうか?
【番組あらすじ】
氷河期が終わり、水位の上昇とともに日本列島は島国に変貌しました。温暖で湿潤な海洋性気候に変わり、多様な植物が群生する深い森が次第に形成されていきます。
はるかな北や南から日本にやってきた私達の祖先は、1万3000年前から~2300年前までの約1万年にもおよぶ縄文時代に狩猟だけではなく森を切り開き、森の文化を育みました。縄文時代の実像とはどんなものであったでしょうか。
【第3集を見ての感想】
平和で豊かで1万年も続いた縄文時代。竪穴式住居に住み、定住する生活をおくりだした私達の祖先。狩猟や森のめぐみの木の実などの採取の他に、なんと集落の廻りに多数の栗の木を植えていたそうです。植林していたのですね。巨大集落も複数あって500人もの人々が一緒に住んでいたとか。番組では三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)が紹介されていました。
私が小さい頃の縄文時代のイメージは狩りをして移動しながら生活していたと思っていたのですが、最近の研究ではキャンプ生活は次第にしない様になり定住していたのですね。集落の廻りに栗の木を沢山植えていたって話が大好きです。なんだか平和な世界。縄文式ポシェットも紹介されていました。それに採取した木の実などを入れるのです。石斧や土器も改良してどんどん暮らしやすくして。
狩りしたり、採集したり、栗を育てたり・・現代の生活も良いですが、ちょっと憧れませんか?なんだかそういう生活もいいなぁと思ったりします。現代社会で生きていると目や肩が疲れてしまって。でも怠け者だと怒られちゃいそうですね。集団行動も苦手だしΣ(;´∀`)
縄文時代は自給自足と考えられていましたが、集落は日本海側に沢山点在していて黒曜石(ヤリの材料となる)や翡翠など違う地域から三内丸山遺跡にもたらされ、交易していたそうです。ほんと縄文時代のイメージが変わりますね。三内丸山では逆に栗の実を輸出していたとか。うーん、なんだかほのぼのします。
三内丸山遺跡は長期に渡り繁栄したそうです。縄文時代は大きな争いもみられず理想的な社会ですね。
しかし、4000年前あたりから気温が3、4度下がり栗の木があまり育たなくなり、三内丸山遺跡の集落は衰退していったそうです。その頃には狩りや採集より栗の木に対する依存が大きくなりそれも原因のひとつだそうです。う~ん、考えさせられますね。
栗に依存して衰退した三内丸山遺跡の人達。しかし長期に渡って平和な集落を作り、衰退も争いではなく栗・・衰退も緩やかだった事でしょう。終わりとしてはまだ良い結末かもしれません。
【三内丸山遺跡】
青森県青森市大字三内字丸山にある縄文時代の大規模集落の遺跡で現在「六本柱建物跡」「大型竪穴式住居跡」「竪穴式住居跡」「高床式倉庫」などが復元建物として建設されています。遺跡入口には縄文時遊館(じょうもんじゆうかん)という資料館も併設されていてさんまるミュージアムや縄文シアター、さんまるライブラリー等で当時の様子を学べます。
「六本柱建物跡」は高さ4.2メートルで6本の栗の木柱から造った建物跡で、木柱は腐らず残っていたそうです。また「大型竪穴式住居跡」は長さ32M、幅10Mもあり集会所であったと推測されています。
狩猟ではウサギやモモンガを取って食べていたとか。モモンガ・・。
「NHKスペシャル 日本人 はるかな旅 第3集 海が育てた森の王国」
語り(語り手) : 森田美由紀さん 、阿部渉さん
テーマ音楽 : 吉田潔さん