80日間世界一周。歴史秘話ヒストリア


11/4日と11/11の放送の歴史秘話ヒストリアは「挑戦!80日間世界一周」。タイタニック号の遭難事故よりおよそ20年前、19世紀末のNYで2人の女性記者が逆回りで世界一周旅行を競いました。明治22年(1889年)に出発したこの2人の旅の結末は・・?

フランスの作家ジュール・ヴェルヌが書いた小説「80日間世界一周」が1872年に刊行されてから17年、新聞発行部数を争っていた新聞社の女性記者二人が逆回りで世界一周を行い新聞紙上は大いに賑わいました。

ひとりはワールド新聞社のネリー・ブライ(25歳)。最初に80日間旅行を企画した人物で気が強く体当たり取材が得意な女性。ネリー出発から8時間後、東廻りでヨーロッパ方面から廻ります。

もうひとりはコスモポリタン社のエリザベス・ビズランド(28歳)。文芸欄を担当する上品なレディで美人、根っからの文学少女。列車で大陸横断したあと、長い太平洋横断航海で日本に到着する西廻りコースです。

ネリーに対抗したコスモポリタン社がエリザベスに世界一周を命じてから出発まで5時間しかなかったとか・・あの頃からブラック企業ってあったんですね・・女性社員なのに。もしかしたら労災や保障もなく今よりハードなサラリーマン生活だったのかしら?(苦笑)

ネリー・ブライは新聞社の命により少し遠回りになるけれどフランスに住むジュール・ヴェルヌに会いに行きインタビューと書斎を見せてもらい、世界一周の決意を新たにしました。

ネリーは初めてインドでカリーを食べたり、エリザベスはシンガポールで虎に襲われる恐怖を感じたり(実際にはネズミだった)2人の旅は未知の世界への旅で、私達が旅するより情報がなく旅しているので、新鮮であり、恐怖であったり鮮烈な体験だったんだろうなと思います。

大半は乗り物に乗っている状態で、急ぎの旅なので観光が出来てないのが残念ですね。でも行った国の景色は鮮明に焼き付いていると思います。エリザベスは元文学少女らしく景色の情景も文章に上手に残していて、エリザベスの方が旅を楽しんでいた気がしました。



しかしネリーも調べたところによると日本に5日滞在して鎌倉や横浜、東京など旅して感想も残しています。ネリーもエリザベスも日本を賞賛していて嬉しいです。日本では船が出るまで5日ほど滞在期間があったのかもしれません。

勝負はネリーの勝ちとなりましたが、天候や状況で変わるものなのでこれはしょうがないというか・・現代ではなかなか露骨な事は出来ない工作や妨害を、それぞれの社がしたりしているので勝負自体はフェアでないので彼女たちに罪はないというか。しかしネリーは名声を得て大変な人気者となったそうです。

2人のその後を追ってみるとエリザベスは作家としてデビューします。やはり文才があったのですね。そしてラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の伝記を執筆したり、作家としての道を歩み、結婚もし、世界一周旅行の22年後には再び日本へ訪れ全国各地を廻っています。日本人としては嬉しいことですね、文章でも小泉八雲との親交や日本への再訪など、日本を愛し親しんでくれたエリザベス、お祭り騒ぎの八十日間世界一周の熱に浮かされることなく着実な人生を歩んだのも好感がもてます。

一方ネリーは世界一周で名声を得て、商品のパッケージデザインになったり有名人となりますが、6年後富豪と結婚し一時期ジャーナリストを引退、その後復帰して女性投票権協定のレポートを書いたり、アメリカの女性として初めての従軍特派員となりました。ネリーもまた自分らしく勇ましく人生を歩んだのですね。

旅は素敵ですね。私も外国や日本国内を旅して、その情景は色褪せることがありません。そういう思い出をこれからもコツコツ増やしていきたいなと思わせてくれました(・▽・*)

外国に行くために飛行機に乗り、目的地に着く時。だんだん高度が下がってきてその国の景色を上空の飛行機から眺める時。日本とはぜんぜん違う大地の色、自然の風景、人々の営み・・が近づいてくる。そのスペクトラムな情景でドキドキわくわくする気持ちはネリーやエリザベスと変わらない瞬間だと思います♪

歴史秘話ヒストリア 「挑戦!80日間世界一周」
司会 : 井上あさひさん


スポンサーリンク

スポンサーリンク




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする